私も昔は子供だったのに、 今は四人の子供のお母さんになって、 一番美味しくきれいにやけた目玉焼きを あなたたちのお皿に盛るようになった。 子供のころの私は、 自分が一番おいしくて素敵できれいなものが 自分のものになるのが 当たり前だと思っていたのに。 子供ってなんて 偉大な存在なんだ。 子供だった私を一人の人間にしてくれた 偉大な存在。 そして今もその挑戦は続く。 自分が犠牲になったり、 自分を犠牲にしたり、 そんなことしなくていい。 ただ、いつも笑っていられる、 そんな自分であるように。 お母さんだって 泣きたい時がある。 お母さんだって 褒められたい時がある。 私だってもともとは、 私のお母さんから生まれた子供で、 成長して大人になって子供を産んで お母さんになったの。 だから 心は子供のままのところだって たくさんあるの。 自転車に初めて乗れた日、 いいよー、上手だよーって 後押しされるその声、 そんな声をお産の時にかけてあげれたら、 一人の子供だった私は、 一人の人間の命を 生み出すことができる。 そっと触れられた その手のぬくもりと 笑顔に送り出されて。 そのままのあなたでいい。 恐れも、 痛みも、 悲しみも、 喜びも、 うれしさも、 絶叫も すべてそのままで。 いつもここで待ってるよ。 私は、 そんな助産師でありたい。 住井直子
東京の開業助産師であり、
何十年にわたって
お産をお手伝いしてきた矢島ゆか子さんは、
ご自身の助産院でのお産を振り返ってこう記述しています。
私も助産師という仕事を経て、子育てをするようになって、矢島ゆか子さんの言葉が心にしみます。
❝お産は長い長い子育ての一つの通過点でしかありません。ただ、その通過点がお母さんにとって
何か温かいもの記憶、体験であればそのあとの子育てに影響を与えるのではないでしょうか。
助産師はいつもそのことを気にしています。❞ 矢島助産院 矢島ゆか子